「次に生まれ変われるとしたら、どちらの性別を希望する?」こう言う問いは、幼い頃から友達同士でして来た様に思います。子どもの頃は深く考えずに、「そりゃあやっぱり次も男だよ!」などと答えていましたが、ジェンダー平等やLGBTQを取り巻く問題を知った今となっては、色々と考えざるを得ません。私は生物学的に男性で、自分の性を男性であると自認しており、性的に好きになる人は女性です。いわゆる「多数派の男性」に属する訳ですが、性のあり方が非常に多様性に富んでいる事が認められている現在においては、「来世があるとしたら、どちらの性を望むか」と言う問い自身が、少し奇妙なものにも思えてきます。
インターネットで検索してみると、「生まれ変わったら女性か男性か」と言うアンケートでは女性も男性も同様に、現在の性を選択する人が約半数だそうです。ですが、この結果をもって女性と男性の生きづらさは同等であるとは言えません。私は今年で60歳になりましたが、「男性であるが故に」辛かったことや苦しかったこと、恐怖を感じたことなどはこれまでありませんでした(こう感じること自身、私が男性の中でもさらに強い立場にいることを自覚させますが)。女性はどうでしょうか?「女性であるが故の」理不尽な苦しみは色々あるのではないでしょうか。あるアンケートでは「電車の中で痴漢に遭ったことがある」と答えた女性は6割(!)にものぼるそうです。痴漢をはじめとする性暴力被害は女性と男性の格差が著しいものの一つだと思います。東京出張時に新大阪駅構内でトイレに行くと、女性用トイレの前には長い列が出来ているのをいつも目にします。何故女性用トイレのスペースはニーズに合わせたものになっていないのでしょうか。非正規労働者の割合は、女性は男性の2倍以上です。コロナ禍において女性の自殺率が男性に比べて急激に増加したことが報道されていましたが、非正規労働者であるが故に簡単に解雇されて生活が立ち行かなくなった状況を思うと、本当に胸が痛みます。ほんの一部の例を挙げましたが、男性の方が圧倒的に優位に立っている状況が、今の日本にはたくさんあると感じます。
広島と長崎に落とされた原子爆弾の名前が「リトルボーイ」と「ファットマン」と言う「男性」であったことは、強大な暴力が「男性」性を象徴するものであることを示しているそうです。私も自分の中の暴力的な「男性」性に嫌気がさすときがあります。私は他人に対して滅多に怒りません(世の中のあり方にはいつも怒っていますが)。ですが、カチンと来てリミッターが外れてしまうと、自分でも怖くなるほどの大きな声を出して威嚇し、怒ってしまう時があります。私の中に、これほどの暴力性が潜んでいるのかと驚き、慄き、そして後悔し、反省します。
これから私たちは、個々人の多様性を尊重し、「少数派」に属する人々の人権が妨げられない社会を作り上げてゆかなければなりません。ですがそれには「多数派」に属する人々の内省が必要なはずです。女性と男性はほぼ同数ではありますが、社会的には男性が多数派になっています(だからこそジェンダー平等と言われる訳です)。男性が自らの「男性」性について色々と考えてみることは、有意義な事だと思います。