私は自慢じゃないですが、記憶力がかなり良いほうです。40年以上前に受けた医学部の授業内容を覚えていたりします(周りからは、それはおかしいと言われます)。勉強に関する記憶は、脳の「引き出し」にしまっておく感覚です。ずっと以前に覚えたことでも、引き出しから出して使うことができます。医者として働くのに、この記憶力はかなり有利に働いてきました。でも私の脳のメモリーは、日常生活に関して、全く欠落しています。
皆さんは、自分が使っているお布団がどんな色か、どんな感じのものか、覚えておられるでしょうか?私は自分と妻のお布団を引くときに、「あれ?どっちの布団が自分のかな?」といつも分からなくなります。妻に「なあなあ、これどっちが僕のお布団かなあ?」と聞くと、「なんで分からへんの?色も布団の厚さも全然違うやん!」と毎回呆れられます。聞いて呆れられるのも嫌なので、お布団を引いて自分で寝てみて、感触があっているか確かめたりもしますが、それでも間違います。なんでやろ?
ご飯をよそう自分のお茶碗くらいはわかります。でも家族のお茶碗はわかりません。一緒に食べているのですが…。妻と高校生の娘のお茶碗にご飯をよそうのですが、二人の食べる量は違うのです。ややこしいなあ。どっちがどっちやろと思いながらご飯をよそって、テーブルに並べると娘が「パパ!これ私のお茶碗とちゃうやん!」とか「ご飯多すぎるで!」と毎回手厳しいお言葉。いっそのこと、お茶碗に大きく名前でも書いといてくれと思います。
うちには女性が3人います。米寿を迎えた私の母と、妻、そして高校生の娘です。洗濯物を頑張ってたたむのですが、誰の下着なのでしょう?全く判明しません。長年培った人生経験から、「これに違いない!」と長考の末タンスに直して、パーフェクトに間違っていた時の衝撃は、今でも忘れられません。しかも、私がたたんだ洗濯物は、実は妻がたたみなおしてタンスのチェックまでしているという事実を知らされ、ショックの極み。私は役に立たんのかなあ。
私も定年が見える年齢になってきました。医者の仕事を辞めたら、私に何が残るのでしょう?えらい事です。何とかして、生活能力をつけなくっちゃ。やっぱり食事を作れなくてはだめですかね?目玉焼きと野菜炒めは作れるんです。でも「結婚してから、一度も自分でご飯を炊いたことがない」と白状したら、皆さん驚いて非難ごうごうでしょうか。あかんたれです。一念発起してアマゾンで「男の料理」みたいな本を買おうとしたら、妻から「そこから始めるのん?志郎さんらしいわ」と笑われました。まず、日常の生活を自分で頑張ってやるしかないですね。生活能力のメモリーが少しでも自分にあったら良かったのにと思う、今日この頃です。今回はくだらないお話ですいませんでした。