私の医師人生を決定づけた活動に「気になる患者さん訪問」があります。20年前のこと、医師になって10年目の頃です。循環器内科医として外来診療を行っていると、患者さんから「気になる言葉」を幾度となくお聞きしました。「お金がないから検査が受けられない」、「一人暮らしのため、怖くて入浴していない」、「野菜を食べていないからビタミン剤が欲しい」などなど。短い外来診療の時間ではその患者さんがどのような生活をされているのか十分にお聞きすることが出来ず、私と外来看護師、事務の3名で、土曜日の午後に訪問を行うことにしたのでした。
最初は「1回30分程度の訪問になるのかな」と思っていました。ですが実際に訪問してみると患者さんは普段相談したいことを溜めておられたのか、自宅なので安心してしゃべることが出来るのか、皆さん、3時間程度は生活の状況を語ってくれました。私が最も印象に残っている気になる患者さん訪問は、70歳代の女性でした。心不全で永久ペースメーカーが植え込まれており、高度の難聴で会話が困難な方でした。腰も膝も曲がっており、歩行するのにも難渋されていました。
訪問してみると驚くべき生活状況が明らかになりました。ご自宅は泉北深井の古い府営住宅で、その4階に住んでおられました。「何もないので…。」と言われていましたが本当に部屋には何もありませんでした。夫とは離別し、2人の息子さんを女手一人で育て上げてきました。生まれつき難聴で仕事が出来ず、生活保護を受けてきましたが息子さんの成人を機に打ち切られたとのこと。年金はありません。ご長男との二人暮らしですが、日雇い労働で月10万円程度の収入しかありませんでした。貯金はなく、家賃、ガス代、電気代、電話代など全て滞納です。「先日の病院への受診時は300円しか手持ちがなく、バスを使って病院に行ったら50円しか残らなかったので、深井の団地まで歩いて帰りました」との発言に絶句。4時間かかって歩いたそうです。心不全があり、腰も膝も変形して部屋の中を歩くのも不自由な人が…。
私から「生活保護申請をした方が良いのでは」と提案しましたが、福祉事務所に相談に行った際に、「仕事がなくて困っている人はたくさんいる、何しに来たんや。」と言われ、もう2度と行きたくないとのことでした。「先生が来るのでケーキくらいは用意したかったのだけど…。自分も朝から何も食べていない。コーヒー1杯だけ。お米はあるが味噌もない。冷蔵庫には卵だけある。それで頑張らなければ。こんな話しを先生にしたくなかったのだけど…。こらえて下さいよ。」との話に、私は言葉が出ませんでした。ソーシャルワーカーとともに何か利用できる社会制度がないのか検討しましたが、見つかりませんでした。
「先生が来るので下で育ったゆりの花を手折って生けておきました。せめていい匂いだけでもと思って…。」玄関にとてもきれいなゆりの花が生けてありました。その心遣いに涙するとともに、外来診療の時間だけで患者さんのことを分かったつもりになっていた自分を深く恥じました。医師は医療機関の中にだけいたのではだめだということを「気になる患者さん訪問」で叩き込まれ、以来「貧困と医療」は私のライフワークテーマになっています。