私は医学生時代に、脳性麻痺の障がい者とかかわりを持っていました。障がい者の介護活動を行いながら障がい者と共に差別をなくす運動を行なっているサークルが大学にあり、他の学部の学生とともに楽しく活動をしていました。
障がい者と接するのは、私にとって初めての経験でした。皆さん、障がいもそれぞれ個性的なら人格も個性的で魅力的でした。ビールをストローでチュウチュウ飲んで酔っ払い、しゃべる言葉がますます聞き取れなくなるおっさん障がい者。手で持てないため灰を下にボトボト落としながらタバコを吸い(危ないよ!)、障がい者差別を声高に糾弾する青年。繰り返し手術を強いられたため身体が全く曲がらなくなり、ベッド状の車椅子を使っていた寡黙な障がい者団体リーダー。その彼と結婚した、キラキラ物が大好きで全身をアクセサリーで飾っていた、いつも陽気な女性障がい者。日常生活は全介助で車椅子が手放せない重度障がいの方ばかりでしたが、自らの意思で施設に入らず、私たち学生の介護により地域での一人暮らしを実現されていました。「障がいがあるのに頑張っている」からではなく1人の人間として、彼らの生き方は自分自身に良い影響を与えてくれました。また、彼らの介護生活を経て「最もゆっくりな人のペースに合わせる事」の大切さを学びました。
あれから30年以上が経ちました。障がい者を支える制度は沢山できました。ですが、「働けない人間には価値がない」とでも言うような考え方が、以前よりも強まって来ていると感じます。相模原障がい者殺傷事件や先日起こったALS患者嘱託殺人事件など、この間信じられないような事件が起こっています。日本全体が効率主義、成果主義の世の中になり、多くの人々が生活に余裕がない状況に追い込まれ、弱い立場の人々に寄り添う気持ちが持てなくなってきているのだと思います。人種差別やヘイトスピーチなどが広がっていることも根は一緒なのでしょう。 私たちは立ち止まり、よく考え、今の世の中の在り方を問い直さなければなりません。人間の尊厳を大切にする世の中にしてゆかねば。人権のアンテナを鋭敏にして。
一般に重度の脳性麻痺者の寿命は長くありません。誤嚥性肺炎など呼吸器系の疾患に罹患しやすく、不随意運動のため筋肉や骨格などへの負担も大きく、医療機関での治療も困難なことが多いためです。先日、学生時代にかかわっていた障がい者2名の葬儀に参列しました。私の医師としての基礎を作ってくれた仲間たちです。医学生時代の熱い気持ちを思い出し、これからも他者に寄り添える医師として頑張ってゆきたいと思います。