私は医学部を卒業してすぐに耳原総合病院で研修を開始し、今年で32年目になります。色々な事を学んで参りましたが、皆さんは何が私を医師として成長させてきたと思われるでしょうか?それは、「患者さん」の存在です。もちろん、若い医師は皆実際に患者さんを診療することで医師としての経験を積んでゆくのですが、そう言う意味での「患者さんが医師を育てる」という事ではありません。私には、医師としての生き方に影響を与えてくれた患者さんが、これまで大勢いらっしゃいました。いくつかのエピソードをご紹介させていただきます。
まだ1年目の研修医だったころのことです。すごく重症の心不全患者さんの担当をしました。高齢男性でしたが何とか回復され、退院される際に私にお手紙をくださいました。そこには、これまで病弱な妻とともに何度も病気で入院してきたこと、妻が他院に入院した際に差額ベッド代が払えずつらい思いをされたこと、耳原総合病院が差額ベッド代を取らずに貧しい人たちの立場に立った医療を提供してくれていることへの感謝が述べられていました。そして最後に「一粒の雨も集まれば大河となります。貧しい人々のつらい思いを束ねて力にする大河のような医療機関にしていってください」と結んでありました。お金がなく安心して医療機関にかかれない、そのつらさについて身につまされ、患者さんの励まし通り「耳原総合病院で無差別平等の医療を前進させてゆこう」と強く思いました。
3年目の研修医のころに、寝たきり状態で意思疎通もできない高齢男性を受け持ちました。肺炎で治療していたのですが、ある夜に突然血圧が下がりそのままでは生命維持ができない状態にまでなりました。腹部大動脈瘤破裂を起こしたことが判明し、これまで妻が長期間自宅で介護してきた大変さを知っていた私は、妻に説明をしました。「緊急手術をしなければほぼ確実に亡くなられますが、手術をしてもそのまま亡くなられる可能性が高いです。私としてはこのままお看取りする方針が望ましいと考えます」と。ですが妻は緊急手術を希望され、夜中に耳原総合病院で緊急手術を行い、なんとか救命できました。妻は私にこう言われました。「寝たきりであっても最後まで人間らしく、夫が治療を受ける権利を奪いたくないのです」と。私は、介護が大変だから当然妻は看取りを希望されるだろうと考えた自分を恥じました。人には、夫婦には、これまで歩んできた人生があり、医療はその人生に寄り添うものでなければならないのだと学びました。
まだまだ書こうと思いましたが、字数がいくらあっても足りません。私だけでなく、医師はこのようなエピソードをいっぱい経験して、「人の命と健康」という畏れ多いものを扱わなければならない人間として成長してゆきます。皆さん、医師に自分の人生を是非語ってください。医師は人間的に未熟なまま医師免許を取得し、現場に出てゆきます。皆さんの語りが、人間味のある医師を育てるのです。これからも、私にもいろいろと語っていただきますよう、お願いいたします。