私は大阪府の阪南市と言う、和歌山県にほぼ近い田舎の街に住んでいます(生まれ育った街です)。まだ田んぼや畑がたくさん残っていて、山から海まで2キロくらいしか離れていません。山も海も子どもの頃からの遊び場でした。5月の阪南市の山々は、緑が青空に映え、青々として生命の息吹を感じ、とても美しい。毎日の通勤で、最寄駅まで歩く間や、駅で電車を待っている時、電車が走り出して車窓から見る「山の青さ」は、私を爽やかな気持ちにさせると同時に、もの悲しい気持ちにもさせます。20年近く前の、病気に苦しんでいた頃の事を思い出すからです。
2006年の4月に、大腸からの大出血で私は生命に関わる状態になりました。医師になってしばらくしてから、私は下血や大腸の炎症をくり返す様になりました。下血や炎症のため1年に2回くらいは入院を繰り返していましたので、外科の先生からは手術を勧められていました。原因は大腸憩室症と言う良性の病気でしたが、厄介な事に、私の場合は大腸の一部ではなくほぼ全域に憩室ができていました。手術となると、大腸のほとんどを取り去らなければなりません。私は手術を希望せず、だましだましで医師としての仕事をこなしていました。そこへ大出血が起こったのでした。
緊急に血管造影をして、出血している血管に金属コイルを詰めて、止血の応急処置をしました。大出血のため血圧が下がり、輸血を行ないましたが、次に出血すると生命の危険がありました。否応なしに、私は大腸のほとんどを取り去る手術を受けました。その結果、私は右の下腹部に人工肛門を付ける事になったのです。1ヶ月弱の入院を経て私は退院し、自宅で人工肛門と格闘しながら療養生活を送る日々を過ごしました。
すさまじく忙しい医師としての生活から一転、何もする事がありません。まあ療養なのですから、一生懸命に食べて身体を動かして、体力を回復させるのが大切です。私の日課は散歩と「明日のパン」を買う事になりました。最初は30分歩くだけでも結構しんどかった。右下腹部にある人工肛門も丁度ズボンのベルトあたりの高さにあって、圧迫されて痛かった。散歩する度に悲しい気持ちになり、「元気に働ける事の幸せ」を痛感しました。ですが散歩の距離は徐々に伸びて、1時間半くらいは連続して歩ける様になりました。阪南市の故郷をぐるっと回ってゆく様な散歩コースです。その頃毎日のように目にしたのが「5月の山の青さ」です。本当にきれいで、心が洗われる様でした。病気療養中の、「早く元気になって社会復帰したい」というもの悲しい気持と相まって、私の心に深く刻み込まれました(私はさらに半年後に2回目の手術を受けて、無事に人工肛門を閉じる事が出来ました)。
医療と介護を取り巻く情勢は非常に厳しく、耳原鳳クリニックと法人全体の舵取りに悩む毎日です。ですが、故郷の青々とした山を5月に見るたびに、元気に過ごせている事に感謝するのです。