先日訪問診療を行っていた時のことです。同行している看護師さんが、「看護師は患者さんに触れなければならないんです」「看護の“看る(みる)”という字は手で見るという意味です」「患者さんに触れることで、患者さんは安心するし、患者さんのこともよく分かります」と言っておられました。とても素敵な言葉で、聞いていて嬉しくなりました。そこでふと「医師の診る(みる)はどうなんだろう」と考えました。
Googleで「診る」の意味を調べてみると、「病状や健康状態を調べる意味」とありました。医師が通常「患者さんをみる」と言った場合はこの「診る」になります。患者さんを客観的に、科学的に観察し、正しい病名を診断する。それはとても大切なことであり、医師と言う医療専門職が担わなければならない内容です。また正しい病名を導き出すためには、非常にたくさんの知識と経験を必要とし、常に研鑽を積まなければなりません。正直に言って、医師は「診る」だけで精一杯だなあと思います。
ですが、医師にとって「看る」ことも大切だと思うことが、これまでの医師人生で数多くありました。一つのエピソードですが、私がまだ青年医師だったころ、中年女性の超重症心不全患者さんを受け持ちました。多数の強心剤や昇圧剤を、何台ものシリンジポンプで微量点滴して何とか心臓を動かしながら、ほぼ寝たきりの入院生活を送られていました。誰の目にも「あと1~2ヶ月の命」であることが明らかで、患者さんの心も抑うつ傾向になっており、私が病室で診察することに大きな意味はありませんでした。そこで私は「ツボ」の教科書を買ってきて、その患者さんの主に足裏のツボを押してあげるのが、私の診察になりました。「今日は足の浮腫みが軽くなるツボです」「今日は頭が楽になるツボね」と、毎回30分くらい病室で指圧をしました。「何かしてあげたい」と言う私の自己満足だったかもしれませんが、その患者さんとは打ち解けるようになり、私を信頼もしてくれ、亡くなられる前には患者さんが行きたかったコンサートにも私と看護師同伴で連れて行ってあげることができました。患者さんの全身を私の手で触れてあげたことは、医師と患者の関係を良好なものにしたと思います。
高血圧や脂質異常症などの慢性疾患患者さんは、何か新たな症状が出ていない限り、眼瞼結膜のチェックや胸部聴診を行っても、そうそう変化があるものではありません。また非常に数多くの患者さんを診察しなければならない外来において、患者さんの話を聞いて検査や処方を行うことだけでも時間がかかりますので、身体診察を省く医師も世間にはいるようです。ですが、私は胸部聴診だけは必ず行います。患者さんに触れる行為であり、「聴診器を患者さんに当てる」ということ自身に意味があると信じているからです。忙しい外来ですが、なるべく患者さんに触れてゆきたいと思います。