皆さんはIPPNWという団体をご存じでしょうか?1985年にノーベル平和賞を受賞したので、その時に聞かれたことがあるかもしれません。1980年にアメリカのラウン博士とソ連のチャゾフ博士の呼びかけにより設立されました。読んで字のごとしで、核戦争を防止する医師の国際的な運動団体です。このお二人は高名な心臓病医学者で、特にラウン博士の名前は「心室期外収縮のラウン分類」として、知らなければ医師国家試験や看護師国家試験には受からないほどの有名人です。
私は医学生の時に、このお二人の「全世界の医師と医学生に核戦争の防止を訴える」檄文を読みました。その時の感動は今も忘れられません。将来医療を担うであろう医学生にも核戦争防止の運動参加を訴えたと言うところが、医学生であった私には嬉しかった。そして、これほど高名な医師が「核戦争防止運動を全世界の医師に訴える」と言うところに感銘を受けました。日本の医学界では、地位の高い医師ほど政治的なメッセージを出さない風土があります。「医師として良心的になればなるほど、社会へのメッセージを強く出す」ことの必要性を学びました。そして、この檄文には「核戦争防止は最大の予防医学であり、医師と医学生の責任で実現しなくてはならない」とありました。核戦争防止は最大の予防医学、まさしくその通りです。核戦争がひとたび起これば、医療供給体制は瞬時に崩壊し、その後の放射線障害を含めて長期にわたって健康被害を及ぼしてしまうことは、日本での広島・長崎の経験から明らかです。まだ医学生でしたが、「医師としての社会的責任を果たすために、核戦争や核兵器に反対してゆこう」と強く感じました。
医師になり、耳原総合病院に就職して2年目の研修医の時に、韓国で開かれたIPPNWのアジア太平洋地域会議に参加する機会を得ました。IPPNWは世界大会と地域会議を毎年交互に行っているのですが、耳原総合病院では毎年若手医師をIPPNWに送り出していました。この機会は、私にとって非常に良い経験になりました。各国から多くの医師が集まり、核戦争や核兵器について医学的な影響を発表し合い、反対運動について討議する。こういう医師たちが世界中にいるのだということに勇気づけられました。私はたどたどしい英語で、各国から集まった医師たちに「広島・長崎被ばくパネル」を前に一生懸命、原爆による健康被害を説明しました。また、若い上の度胸があったのでしょうか、非常に広い全体会議会場でのシンポジウムで、挙手をして英語で「原子力発電所の核被害について、IPPNWではどう考えているのか?」という質問をしました。英語力がなく、質問したのは良かったですがシンポジストからの返答についてはあまり理解できませんでした。ほろ苦くも良い思い出です。
長い医師人生、医学の勉強はもちろん大事ですが、人生とは?生きるとは?社会とは?など広い視野を持つ経験の方が大切なように思います。私たちの事業所では、若手職員にいろんな経験をしていただく職員育成を、これからも続けていきたいと思います。