私には大腸がありません。2006年に大腸から大出血を起こし、大腸のほとんどを取り去り人工肛門で生活をしました。
大出血を起こしたとき、「これは死ぬかも」と感じました。下血という生易しい感じではなく、血液そのものがどんどんお尻の穴から出てきて止まらなかったからです。緊急に止血しないと危険なので、足の付け根の動脈からカテーテルと言う細い管を入れて、大腸の出血ポイントを探り当てて金属コイルで詰めて血を止める治療を受けました。当時私は循環器内科医であり、耳原総合病院で山ほどの患者さんにカテーテル治療を行っていました。私の治療を行ってくれたのは放射線科の先生だったのですが、局所麻酔薬を打つ前、カテーテルを血管に入れる前など節目節目にきちんと声をかけて行ってくれたので、何をされているのかがよくわかり、とても安心しました。
「私は、これまで患者さんにこれほど声をかけてカテーテル治療を行ってこなかったな・・・」
医師からのこまめな声かけがこんなに安心感を与えてくれると知りませんでした。現在私は外来で患者さんに「目を見ます、貧血はありませんね。次に心臓の音を聞きます、雑音は聞こえませんね」などと言いながら、一つ一つの行為の意味を説明しながら、診察をしています。患者さんに少しでも安心感を与えていると信じています。
カテーテル治療で止血したあと、再出血を防ぐために大腸のほとんどを取って人工肛門を作りました。私の手術の傷は大きく、お腹の上から下まで縦に30センチほど、加えて人工肛門の傷が横に10センチほどでした。傷がとても痛く、泣きそうというか泣いていました。痰が絡むのにお腹が痛くて力が入らず、痰を出せません。苦しんでいると看護師さんから「お腹に手を当てて腹筋を補助するようにすれば痰が出せる」と教わりました。こんな事、医師になってから学んだことはありませんでした。医師は病気については学びますが、病気の療養についてはあまり学びません。でも患者さんにとっては「どう過ごせばよいのか」は大きなポイントです。
退院後は人工肛門の排泄場所に苦労しました。当時は人工肛門専用のトイレがほとんどなく、大便器のある男性用トイレ(実は数少ない)の場所を頭に入れながら、袋がいっぱいになる前にそこにたどり着くように気を付けて外出しました。こんな苦労も知らないことでした。
病気の経験は私にたくさんの学びを与えてくれました。ですが医師が病気をすべきだとはもちろん思いません。医師の関心をもっと「病気」から「病い(=患者さんが苦しんでいること)」に向けることが必要だと思います。医師は患者さんから病いの語りをたくさんお聞きし、苦しみに寄り添った医療を提供できるようにしなければなりません。